私が出逢った生徒たち 〜パジャマのBさん〜
Bさんは、高2の女の子。前の高校でバトントワリング部に所属していた。バトンの強豪校だったため練習は厳しかったが、それでも彼女はバトンが好きだった。
友達との関係が原因で学校に通えなくなり、私が務めていた学校へ転校。小さくて細くて顔が可愛くって。でも、目が虚ろ。そして表情が小学生のように幼く自信なさげで、儚い印象。
元気を出してもらうため一緒に放課後に窓ガラスを鏡に見立ててバトントワリングの練習をしたりした。バトンを回している時の彼女は目にちゃんと力がこもって、彼女にとって強豪校でバトンをやっていた栄光をまだ手放せていないことを強く感じた。そして、そこから落っこちた自分が受け止められないのだとも。
Bさんはなかなか新しい環境を受け止められず、リストカットが止められなかった。ある時、私の携帯に彼女から電話が。「‥せんせい‥たすけて‥」授業のない時間だったので校舎を探し回ると、いた!一階女子トイレ。便器に血をポタポタ落として、泣きながら、やっぱり虚ろな目で。
こういう時大声を出したり、強いリアクションはしないほうが良い。私は優しく彼女を抱きしめて、「相談室行こっか」と彼女が休める部屋まで連れて行った。彼女のおかげでその頃の私はリスカに全く動じなくなり、処置の仕方も覚えていた。彼女の細い腕は新旧の傷でいっぱい。これはきっとずっと消えない。でも、これをしなければ生きられない。だから、責めない。なぜ?も聞かない。言いたいことだけ言いたい時に言ってもらう。何も話さないけど、彼女が何かと戦っていることはよく分かった。
夜中に「死にたい、今から窓開けて飛び降ります。」とフラフラの声で電話してきたこともある。「このまま通話しながらお母さんのいる部屋に行ってみようか?」というと「はい‥」と。お母さんに電話を代わり事情を伝え事なきを得た。
またある時は、制服があるにもかかわらず、パジャマがわりのスエット上下で登校してきた。この頃には躁鬱のような状況になっており、躁状態のタイミングだったのだろう。職員室の椅子の上に乗って踊り出した。この時も冷静に穏やかに諭して落ち着かせた。
赤ちゃん返りという言葉があるけれど、彼女も同じで、Bさんはみんなの前でもお母さんに抱きつき、ほっぺにキスをした。幼稚園児くらいの子がママにするように。
と、いろいろ不安定だったBさん。ただ残念ながら、ここで彼女がこんなにも良くなったんですよ、という記事が書けません。私が関わるチャンスのあった期間では彼女は改善しなかった。元気を取り戻し、彼女がもうバトントワリングをやっていない自分を肯定できるまで、もっと時間が必要だったのでしょう。私とは半年ほどしかなかった。
ただ、彼女を通して、思い描いた自分の姿からかけ離れた事を受け止められないと、人はこんなにも脆く不安定になるのだ、と学ばされた。きっと彼女は妄想や躁鬱の精神状態の中に逃げ込む事で自分を守っていたのだと思う。
「こんなはずじゃなかった」、
きっとこれはいろんな選択肢を持っている大人より、限られたそして与えられた選択肢しか持ち得ない子どもたちの方が強く思うのではないでしょうか。その絶望感を、拒食で表現する子もいれば、夜遊びして補導される子もいる、二次元に居場所を求める子もいれば、彼女のように現実を受け入れる作業を拒否し赤ちゃんに戻る。
いろんな形で皆自分を慰め、守っています。
まっすぐ逃げずに自分と向き合えるまで彼女と接して痛かったのですが、本当に残念です。
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